2016年9月15日木曜日

チェ・ギュソク『沸点』を何回も読みかえしてる/のちりょうこ

夜中に目が覚めてしまった。
明日も(今日も)仕事なんだけど。。

チェ・ギュソク『沸点』

この前買った漫画です。
この本を何回も読みかえしてる。



1980年代。わたしは子どもだった。1987年には中学生。隣の国の民主化デモとか、何が起こっているのかとか、あの頃はぜんぜん知りませんでした。
隣の国で起こっていたことなのにな。
あの頃だって社会の授業があって、歴史や地理の授業を受けていたのにな。

毎回違う場面に目がいくので、毎回違うことを考えながら読んでいる。

ワタシ的に、この本の主人公は「お母さん」。
拘置所の壁をこえて入ったあとの「せいぜいもっと高くしておけ!いくらでも越えてやっからよ!」は、名場面のひとつだと思う。
「お母さんサイコー」だよ!



あと。拷問している時に刑事(?)の人が家に電話してる場面。あれは恐怖だ。「今日は帰れない」「子どもはもう寝たのか」という会話。あの刑事にも家族がいて、家に帰れば優しいお父さんなのかもしれないね。でも、職場では取り乱すことなく「(学生を)水につっこめ」と命令する。
こういうことってああいう特殊な場でなくても、そこらで起こっていることなのかもしれない、いや、たぶん、起こっている。「あんなことめったにないよね」「特別だよね」と思うできごとも、いつも「日常」とつながっているのだから。

これからも、何回も読み返すと思う。

ところで。

横浜市の歴史の副読本から、関東大震災のときに朝鮮人が殺された記述がなくなる(かも)、という記事を読んだ。
「誤解を招く表現があった」と。
誤解もなにも、関東大震災は、そんなに遠い昔の話ではないでしょう。
九月、東京の路上で』を読むといいよ。
横浜での話もあるよ。

前に読んだ山本おさむさんの漫画の中で、関東大震災のときに聴覚障害のある人が殺されたという話もあった。「50円50銭」が言えなくて。

歴史を学ばせることの意味は。

少なくとも、過去を選別して、気に入らないできごとを見えなくすること、ではないよね。