2016年7月14日木曜日

「冬の時代」から「沸点」へ~『沸点』冒頭に掲載したイントロダクション紹介/加藤直樹


「沸点」を日本で出版するに当たって、悩んだことがあります。作品を理解していただく上で80年代の韓国の状況についてどのくらい説明を添えるかということです。ある程度の説明は必要だけど、あまりしつこいと、かえって読むのが面倒になるでしょう?
そこで私たちは、物語が始まる1985年春に至る流れのごく簡潔な解説を作品本編の前に置き、本編の欄外に最低限必要な事項についてのみ脚注を入れました。そして、本編の後ろに、クォン・ヨンソク准教授による韓国民主化運動の解説を掲載し、「もっと詳しく知りたい」という人たちに読んでいただくことにしたのです。
以下、『沸点』の冒頭、本編の手前に掲載した「episode.zero 冬の時代」という短い文章を全文転載します。この文章の目的は、第一には「光州事件」などの出来事について、ごく簡単に紹介することですが、それだけではなく、2016年の日本の読者に向けた『沸点』の世界へのイントロダクションとして書いたものです。言い換えれば、この作品が現代日本の私たちにとって、いかなる意味をもつ物語なのかを示したつもりです。




                                                                                         

chapter.zero 冬の時代


1980年代、韓国

同じ民族同士が南北に分かれて戦い、民間人までが殺された朝鮮戦争から30年。この国は焼け跡から立ち直り、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を続けていた。だがその一方で、軍部独裁が続き、人々の自由は制約されていた。

長期にわたって軍部独裁を布いた朴正煕大統領が暗殺された後、「ソウルの春」と呼ばれる自由な季節が一瞬だけ訪れたものの、全斗煥中将のクーデターによって、再び軍部独裁に引き戻されてしまう。全斗煥は、朴正煕が残した「維新憲法」に基づく形ばかりの間接選挙を通じて大統領に就任。軍の後押しを受けた民主正義党(民正党)がこれを支えた。

野党は無力化され、情報機関が国民の動向を監視し、経済成長を低賃金で支える工場労働者の権利要求は徹底的に抑えつけられた。

マスコミは政権のしもべとなった。TVや新聞は、政権が与える「報道指針」に沿った報道を行い、政府に批判的な記者やテレビマンの多くはクビになった。公共放送局KBSの夜9時のニュースは、テンという時報と共に「全(チョン)大統領は今日」と始まる「テンチョンニュース」と化した。保守系紙はむしろ、政権に積極的にゴマをすることで部数を伸ばした。

学校では、「北朝鮮の脅威」「共産主義の恐ろしさ」を子どもたちに刷り込む「反共教育」が行われた。国民の目を政治からそらすために、アジア競技大会やオリンピックを招致してお祭り騒ぎが演出された。

だが、そんな時代に対して抗議の声を上げる学生たちがいた。ときに火炎瓶まで投げて闘う彼らの合言葉は、「光州」、そして「5月」だった。

805月-。韓国南西部の地方都市・光州で、軍のクーデターに抗議する一般市民に軍が無差別に発砲し、抵抗する市民数百人以上の生命が奪われる事件が起きていた。だがこの「光州事件」の実情が国民に知らされることはなかった。新聞やTVはこれを「北のスパイが扇動」「分別のない連中の暴動」として報じた。多くの国民が、そんな報道を真に受けていた。

それでも、事件の真相は時とともに人から人へと伝えられ、広がっていく。国民を守るべき軍隊が、国民に銃を向けたその衝撃をもっとも敏感に受け止めたのが、学生たちだ。民主主義を求める運動は、学生から始まり、文化人、宗教者、さまざまな社会団体へと広がってゆく。彼らの共通目標は、軍部主導の現憲法を変えて、国民の手で大統領を直接選べるようにする「直選制改憲」の実現だった。


路上で、大学で、工場で、民主主義を求めて叫ぶ人々の声が、凍えた時代に熱を与え始めていた。この国は静かに、「100」へと、沸騰へと向かいつつあった。