2016年7月6日水曜日

『沸点』は韓国でどう読まれたか ①「過程」の歴史的記憶を描く/宣政佑(漫画コラムニスト)

『沸点』(原題『100℃』)は、2008年にチェ・ギュソクがネットで公開した後、話題となって単行本として出版された。1980年の光州事件の写真を見たことをきっかけに次第に学生運動に惹かれていく学生を主人公に、1987年の「6月民主抗争」へと昇華されるストーリーを描いている。

漫画研究者で、現在は米ペンシルベニア州立大学コミュニケーション学部で准教授を務めるキム・ナクホ(KIM Nakho)は、韓国の出版専門誌『企画会議』251号(09年7月5日号/韓国出版マーケティング研究所)に寄稿した「そんなに簡単じゃない。だけど続ける。:『100℃』」というレビューで、この作品は単純で直線的な感動へと走る作品ではないと指摘する。では何か。『沸点』は「過程のディテール」についての物語だと言うのだ。

キムは、パク・ジョンチョルの死を知らせるテレビニュースを見た食堂の学生たちが隣の席のサラリーマンたちと言い争うシーンが、まさにそれを示していると言う。すでに「既成世代」となり、悲劇的な事件に対してもただ不満を言うばかりの彼らに憤りを感じる学生たちに対し、作中の人物は「一緒に憤りを感じてくれるかも知れない多くの人たちをも突き放し、距離を感じさせてどうする」と批判する。学生たち自身も抱く「暴力的なやり方ではむしろ一般学生たちからも拒否されるだけではないか」という懐疑。では一体どうすればよいのかという現実との矛盾。キムは、この作品の魅力を「100度になって沸騰し始める瞬間の感動よりも、そう簡単には沸騰させない様々な現実」の描写にあると看破する。

Ⓒチェ・ギュソク
キムは、電子新聞(2009年7月31日付)にも、『沸点』についてのレビューを寄稿している(「漫画の中の歴史:近すぎて忘れられた記憶 『100℃』と6月抗争」)。そこでは『沸点』を、「近すぎる現代の歴史」を蘇らせた作品だとしている。

『100℃』とは、水が沸騰する温度である。キムは、「社会を良い方向に変えようとする戦いがことごとく挫折したとき、どうやって頑張り続けられるか」という問いに対して作中の活動家が答える「水は100℃になると沸騰するが、世の中の温度の変化は温度計で測ることはできないのだから、今が99℃だと信じながら頑張るしかない」という言葉を示す。

韓国の近現代史は常に「今が99℃だと信じた闘いの繰り返し」だったとも言える。キムは、『沸点』という作品の良さを、そうした革命や運動が、華々しいものでも素晴らしいものでもなく、その過程においては苦労もするし、正しくないように見えさえするということを示して、その「ディテール」を「歴史的記憶として作り上げていること」だと言う。例えば革命において避けられない「暴力」という問題や若い世代と前世代との軋轢、そして運動参加と個人の生活の間の葛藤などがそれだ。それらはいつの時代、どこの国の革命でも起こりうる。

もっとマシな社会への変革を望むときに避けられないフラストレーションに対して、人はどう向き合うべきか。それを1987年の韓国社会の経験から、あらためて探してみようという試みが、まさにこの作品だと言える。

「あの『とてつもない闘い』によって得たのは、結局投票用紙一枚だった。それで何をするのか。もうこれで民主主義は実現したのだとそこで満足することもできる。一票を行使できるようになったことにとどまり、その一票をしっかり行使するための条件である多様性への尊重や討論、合意を追求せず、それらをただ面倒くさいものだと決めつけてしまえば、民主主義が持つ意味を衰えさせるようになるかも知れない」
(『企画会議』251号)

キムは、そうならないための「正解」はあるのかと問う。もちろん、そんなものは存在しない。「正解のない問題に対しては、正解のないまま置くのが正解ではなかろうか」という言葉で、キムはレビューを締めくくっている。



宣政佑(そん・じょんう)
韓国の漫画・アニメーションコラムニスト。漫画関係の出版企画社を運営し、日韓の翻訳と出版契約を仲介する。両国のメディアでコラムを発表しており、日本側では読売新聞、「ユリイカ」「網状言論」「ファウスト」などに執筆してきた。韓国語翻訳書に大塚英志『物語の体操』などがある。Twitterは@mirugi_jp